坂本龍馬について
坂本龍馬について
略歴
1835年(天保6年)
土佐郷士、坂本家の次男として生誕。
父は豪商の分家、母は幼い頃に亡くなり、
竜馬を、熱心に教育したのは、男勝りな姉、乙女であったと言われる。
1848年(嘉永1年)
城下築屋敷日根野弁治の剣術道場に通う。
1853年(嘉永6年)
「小栗流和兵法事目録」を伝授、さらなる剣術修業のため江戸に出発、
江戸京橋桶町・北辰一刀流千葉定吉に入門、さらに佐久間象山に入門、砲術をも学ぶ。
1854年(安政1年)
剣術修業満期をもち、江戸から土佐へ帰国する。
河田小流に出会い、西洋文明の教えを受ける。
1858年(安政5年)
「北辰一刀流長刀兵法目録」を伝授。
大老、井伊直弼により、安政の大獄が実施され、
翌年、幕府にとって危険人物とされた橋本左内、吉田松陰が処刑。
1861年(文久1年)
江戸在住の土佐藩士、武市半平太らが「土佐勤皇党」を結成、龍馬も土佐で血判加盟する。
さらに龍馬は、剣術詮議と称し長州方面に出向き、志士達と接触する。
1862年(文久2年)
武市半平太の使者として、長州萩城下の久坂玄瑞を訪れ、さらに大坂を廻り土佐へ帰国。
同じ土佐藩士の吉村寅太郎が脱藩、龍馬も同時に脱藩する。
ふたたび、長州、九州、大坂、京都を経て江戸へ向かい、江戸藩邸の松平春嶽を訪れ、
勝海舟のもとへ千葉重太郎と訪問。
1863年(文久3年)
京に居た龍馬に対し、謹慎後、脱藩の罪が許されるが、
土佐藩からの召還命令に対して龍馬は、それを拒否、再び脱藩の身となる。
勝海舟の勧めで、神戸の海軍操練所の塾頭になる。
1864年(元治元年)
お龍(りょう)と出会い、結婚。
1865年(慶応1年)
同郷の同志、中岡慎太郎と共に薩長同盟を成立させ、
さらに、日本最初の商社「亀山社中」を設立。
1866年(慶応2年)
伏見の寺田屋で、奉行所配下に襲撃され、負傷する。
1867年(慶応3年)
再び脱藩罪を許され、「亀山社中」を「土佐海援隊」に改名。
その後、「薩土盟約」を成立させ、大政奉還案の元になる船中八策を作成。
10月14日 : 江戸幕府15代将軍、徳川慶喜が、
朝廷に政権返上を願い出て、翌日、天皇の許しを得る。
ここに、大政奉還となる。
11月15日 : 龍馬、京都の旅館「近江屋」にて暗殺される。 享年33歳。